自工会正副会長のクルマ愛が熱い! 開催中のジャパンモビリティショー2025で語った愛車エピソードとは?
東京ビッグサイト(江東区)で開催中のジャパンモビリティショー(JMS)2025では、各メーカーによる展示だけでなく、さまざまなイベントが実施されている。
一般公開に先駆けて、10月30日には日本自動車工業会(自工会)の正副会長7名による、「モビリティ愛」をテーマにしたトークセッションがあった。
普段の自工会会見ではスーツにネクタイという姿をよく見るが、この日は各自が実際にドライブに出かけるときのファッションで登場。思い入れのあるクルマやバイクを前に、それぞれの「ここが好き!」という想いを熱く語り合った。
手がかかるほどいとおしい
佐藤恒治 副会長(トヨタ)が披露したのは、1988年に生産した初代MR2*。小型乗用車として日本初のミッドシップエンジン車だ。
*発売開始は1984年。
2024年に前オーナーから譲り受け、整備すること1年。今夏、ついにドライブする夢が叶ったというが…。
佐藤副会長
当時はまだ、エアコンがオプションなんですよ。
(司会)付いてないんですか?
このクルマ、実はエアコンが無くて。今年の夏、めちゃめちゃ暑かったじゃないですか。でも、どうしても乗りたくて。エアコン無しで乗ったら、人間が先にオーバーヒートしてしまいました(笑)。
でもいいクルマですよ。日本初の量産のミッドシップで。
以前トヨタイムズニュースで「僕の『クルマ好き』はどちらかというと、『つくるのが好き』なんです」と語っていた佐藤社長。司会から「ちょっと不便だったり、手をかける喜びもありますよね?」とマイクを向けられると、「自分の思う通りにならないところが、いとおしい」「子どもを育てるのと一緒みたいなところがありますね」と答えていた。
鈴木俊宏 副会長(スズキ)は大学卒業後、「初めて乗った」初代アルト(写真右)とマメタン(同左)を紹介。
1979年に誕生した初代アルトは、「低迷していた軽自動車市場を復活させ、今日の軽自動車の地位を確固たるものにした」として、2024年に日本自動車殿堂の「歴史遺産車」にも選定されている。
スズキにとってエポックメイキングなクルマだが、鈴木副会長にとっては青春時代を過ごした1台でもあったようだ。
助手席に人を乗せてドライブしていた思い出を、このように語っている。
「今はリアビューモニターが付いていますが、当時は無いので、助手席に手を回して後ろを見るわけですよ。そうすると…ね(笑)」
助手席とは、肩と肩が触れ合う距離感。「運転席でもドキドキしていました」と明かしてくれた。
200キロ“も”?200キロ“しか”?
佐藤副会長や鈴木副会長が往年の名車を紹介する一方、最新のクルマを披露したのは、三部敏宏 副会長(ホンダ)。今年9月、25年ぶりに6代目が発売された新型プレリュードは、三部副会長自身も初期から開発に携わってきたという。
JMSプレスカンファレンスでも、「ホンダの社長に就任した当初、今のホンダを象徴する粋なクルマがほしいと、強いこだわりをもって開発に踏み切りました」と、このクルマにかけた熱意を語っている。
トークセッションで展示された愛車は、2週間ほど前に三部副会長のもとに届いたばかり。だが、すでに200キロほど乗っているという。(本人は「まだ200キロぐらいしか」と語っていた。)
イヴァン エスピノーサ副会長(日産)は、「若い時に初めて乗ってワクワクしたクルマ」としてフェアレディZをあげた。
通勤時などで使っている愛車は左ハンドル。その理由は、日本での人気も高いクルマだけに、「注文を奪ってはいけない」と自ら輸出先のカリフォルニアに連絡して入手したため。連絡先からは「いま日本から届いたのですが…?」と困惑されたそう。
エスピノーサ副会長にとって、通勤時の運転は「リフレッシュする儀式のような時間」だという。
設楽元文 副会長(ヤマハ)が持ち寄ったのは、2台のバイク。かつて乗っていたRZ250(写真左)と現在の愛車XSR900(同右)。
XSR900については、オーダーしたのはよいものの、カスタマーファーストということで、納車まで約1年待ちだったという。その間に社長に就任し、手に入れることはできたが、運転するチャンスが激減。「早く自由に乗りたいな」とポツリ。
「トラック業界40数年」の片山正則 会長(いすゞ)は、昨年世界初お披露目されたキャンピングカーの「Travio(トラヴィオ)」について語ってくれた。
こちらは“未来の愛車予定”ということだそう。退職後の夢は、このクルマで「孫と一緒に日本一周」。