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涙の100戦目 仲間と築いたチームに大嶋和也が託す未来

2025.07.31

中日スポーツ・東京中日スポーツWeb「トーチュウF1EXPRESS」とのコラボ企画第3弾。今季限りでスーパーフォーミュラからの引退を発表した大嶋和也選手。仲間と挑み続けた100戦目で見せた涙とは。

長らく国内トップフォーミュラを戦った大嶋和也が、今季限りのシリーズ引退を発表した。静岡県の富士スピードウェイで開かれた今季の第6戦(7月19日)で通算100戦目を迎え、6位入賞を勝ち取った会見で明かして周囲を驚かせた。

「ファンの方からは悲しむ声をいただきましたが、チームを含め周りの方にはシーズン初めに伝えていましたから。特別な反応はありませんでした。100戦目の会見を開いてもらい『これからも頑張ります』って言うわけにもいかなかったので、公表しました」

節目の戦いを終えた後には冷静に振り返るものの、会見では込み上げてくる感情を抑えきれず、男泣きのまま取材に応じた。「泣いてしまったのは、フォーミュラを降りる寂しさとかではないです。話していたらいろいろと悔しかったことがよみがえってしまって」と説明した。

大嶋の国内トップフォーミュラの戦いは、順風満帆なものではなかった。2007年にGT300クラスで最年少王者を獲得したスーパーGTでは、2019年にGT500クラスでも戴冠した。対称的にフォーミュラでは、前身のフォーミュラ・ニッポン(FN)を含めてスーパーフォーミュラ(SF)ではタイトルとは無縁。勝利も参戦2年目の2010年に挙げた1勝のみ。苦しい戦いが続いた。

初優勝の大嶋選手(東京中日スポーツ2010年9月27日より)

2007年に全日本F3(現スーパーフォーミュラライツ)のタイトルを獲得した大嶋は、翌2008年に欧州F3に挑戦。海外レース初年度ながら1勝を挙げるなど奮闘するも、1年で帰国して国内トップフォーミュラに参戦したが、たった4年で休止した。「若かったので、一生懸命頑張ってもトラブルなどが続いて結果が出ず、『もういいや』という気分でした。当時はトップフォーミュラにあまり魅力を感じていなかった」と振り返った。

そんな状況が微妙に変わってきたのが2017年から。「GT500クラスを戦うのであれば、フォーミュラをやったほうがいいと思って」とスーパーGTのパフォーマンスを考えて復帰。所属チームが常に優勝を争える状況ではなかったものの、時折表彰台に食い込む存在感をみせた。そして2020年から現在のルーキーレーシングの体制になると、チームを一から作り上げる生みの苦しみを味わった。

ルーキーレーシングはモリゾウこと豊田章男会長が、チームオーナーになって立ち上げたプライベートチーム。トヨタ自動車の活動とは一線を画し、レースに勝つことだけが目的ではなく、エンジニアやメカニックなどの人材育成も大きなテーマ。2020年にはスーパー耐久やGT500クラスにも参戦しているが、チーム内にはトヨタの関連企業などから出向や転籍したスタッフも多く発展途上だった。

大嶋はチームを立ち上げる役目も背負ったため、苦しみ抜いた。「初めはレース経験のあるメカニックは2~3人のみ。トヨタからいらした人たちはそれぞれ実績のある方なのですが、レースの経験はなかったので…。(レースを戦う上での)ノウハウがないチームでした」。最初の3年間は入賞争いに加わるのがやっとで、2022年には1ポイントも獲得することができない苦境を味わった。

「初めのころは自分のドライビングに対する自信は揺るぎませんでしたが、あまりに調子が出ないと、『何でだろう? もしかしたら自分も悪いのではないか』と思うようになって」。何をやってもうまくいかないストレスは、疑心暗鬼も生む。「早く(SFを)降りたい。でも、このままでは終われない」というジレンマに陥っていたときもあったという。

現監督の石浦宏明が加わったころからチームがまとまり出し、クルマの状態も徐々に上向いてきたという。2023年のスポーツランドSUGO戦ではチームベストの4位に食い込むなど結果も残せ、大嶋は昨年途中に引退する覚悟を決めていた。だが、まさかの大不振。上位走行中にアクシデントに巻き込まれることも続き、終わって見たらまさかのノーポイントに終わった。

「昨年途中にモリゾウさんへ『もう一年やらせてください』とお願いしました。あの状況では終われないので…。そうしたら『納得するまでやりなさい』という言葉をもらいました」。今季はここまでの7戦中5戦入賞を続け、第4&6戦では6位に食い込んでいる。とりわけ100戦目だった第6戦では、13番手スタートからコース上で追い抜きを繰り返して順位を上げた。「良いクルマに乗ると周りと同じように走ることを確認できた。気持ちがスッキリ。ずっと一緒にやってきた"仲間"と戦え、楽しい」と踏ん切りもついた。

来季は、自身のように不器用でなかなか結果を残せない若い選手を支える仕事を目指している。「(来年)まだ何をやるか決まっていません。個人的には監督は石浦さんがいいと思うし、僕はチームを俯瞰できるようなポジションが向いていると思っています」。GT500のドライバーは継続し、スーパー耐久の監督やトヨタ自動車の市販車開発の仕事も継続。胸がモヤモヤすることが多かったスーパーフォーミュラから卒業し、活躍の場がさらに広がりそうだ。 

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