
ウーブン・シティに運び込まれた木製のはた織り機。聞けば136年前の発明品を復元したものだという。"未来の当たり前"をつくる街に「過去」のものを置く理由とは?
多様だから求めた同じルーツ
この講座はトヨタのさまざまな職場で開かれている。既に紹介した通り、ウーブン・バイ・トヨタでは計4回実施され、延べ200人以上が受講している。
講座の受け入れを担当するコミュニケーション&マーケティングチームの織間梓さんは、同社にとっての重要性をこう語る。
織間さん

以前から、私だけでなく、他のメンバーも、この会社につながる歴史についてあまり知らなかったので、ちゃんと源流を知った方がいいと思っていました。
そんなとき、社名が(ウーブン・プラネット・ホールディングスから)ウーブン・バイ・トヨタに変わる変化点があったんです。
トヨタがモビリティカンパニーに変革する。その役割の一端を担う自分たちのルーツをちゃんと知っておくべきだという話になり、講座をお願いするようになりました。
ウーブン・バイ・トヨタを構成するのは、トヨタやグループからの出向社員とさまざまな業界から転職してきたキャリア入社のメンバーだ。
社員は世界60以上の国や地域から集まっており、多様なバックグランドを持っている。だからこそ、自分たちをつないでくれるルーツが必要だったのかもしれない。
参加者からは「自分たちがどこから来て、どこに向かっているのか意識できる機会になった」という声も挙がっているという。
過去と未来がつながる場所
実は、この講義を担当するパワートレーン統括部の3人はある“夢”を抱いていた。
「ウーブン・シティに織機を置くことが、ずっと私たちの夢だったんです。『織り込まれた』という意味が込められた街にあってほしいな…」と難波さん。
西山さんも「ウーブン・シティでどんなに最先端のことをやっていても、スタートはこの木製織機にある。その創業の心を大事にしたいと思ったんです」と続く。

そんな3人の夢が形になる日がきた。ウーブン・シティに木製織機が設置されることが決まり、3月31日、除幕式が行われた。
式典では、ウーブン・バイ・トヨタの関係者と織機の製作に携わったパワートレーン統括部の3人をはじめとするトヨタ関係者が想いを述べ、杼を手渡していった。
最後に受け取ったのは、ウーブン・シティ・プロジェクトを率いる豊田大輔シニアバイスプレジデント。その杼を使って、剣持さんの手ほどきを受けながら、最初の布を織った。
この「杼渡し」と「織り初め」は「織機に魂を入れるための儀式」(剣持さん)だ。
経糸に緯糸を通し、布を織りあげていくように、過去から現在へと紡がれてきた想いを、関係者全員で未来につないでいく決意を表している。
木製織機の復元に携わってきた10年を振り返り、剣持さんは言う。
「初めは織機をつくるだけで精一杯でしたが、2台目以降、『自分の中だけに留めておくべきじゃない』と思うようになりました。そうした中で、いろいろな人の理解と協力があって、ここに至ることができました。みんなが同じ想いで、織機に夢を吹き込んでくれたと思います。そうした想いや願いを次の人たちが未来へと伝えてほしいな」
難波さんは「夢を叶えていくには、自分都合ではいけない。みんなの笑顔を考えて動くことが大事だと織機に教わった」と振り返り、西山さんは「どれだけグローバルな会社になっても、『自分以外の誰かのために』という想いでつながる仲間をつくっていけたら」と未来への想いを語った。
この織機はウーブン・シティを訪れるお客さまを出迎える施設に設置される。そうした「外との接点」に置く意味を、織間さんはこうとらえている。
織間さん

過去の歴史の上に現在・未来がある。同じように、先人が興したクルマづくりでできた土台があるから、私たちは、未来に向かって日々働けるんだと感じています。
ウーブン・シティに集まってくださるのは「自分にも何かできないか」と思ってくださる方々だと思います。
発明には、解決したい課題があり、「誰かのために」という想いがあるはずです。
織機を通じて、ウーブン・シティに受け継いでいきたい想いに触れるきっかけにしてもらえたらうれしいです。
「自分以外の誰かのために」。将来的に2,000人を迎える未来をつくる街へ、トヨタの源流から変わらぬ想いが受け継がれていく。