新たなブランドとして立ち上がるセンチュリー。目指すのはジャパン・プライドを世界へ発信するブランド。日本から次の100年をつくる挑戦を豊田章男会長が宣言した。
次の100年をつくる
センチュリー誕生の物語と背景にあった想いについて述べてきた豊田会長は、現在の日本に目を向け、今こそセンチュリーが求められていると語った。
豊田会長
初代センチュリーの誕生から、半世紀以上が経過した今、日本はどうなっているでしょうか。
「Japan as No.1」と言われた時代は過ぎ去り、「失われた30年」という言葉が定着する中で、日本という国が、少し元気や活力を失ってしまっているのではないでしょうか。
世界の中で、その存在感をなくしてしまっているのではないでしょうか。
今の日本を、喜一郎や中村さんが見たら、何と言うでしょうか。おそらく、何も言わずに、動き出すと思います。
戦後のメディア報道で「ゼロからの発進」というタイトルを見た中村さんは「ゼロなんかじゃない。たしかに設備は壊れ、モノや金はなくなった。だけど、これまで積み重ねてきた日本のチカラ、技があった。だから立ち上がれた」。そう言って怒ったそうです。
今の日本には、世界に広がった「自動車工業」があります。この国を支えてきたモノづくりの技能があります。
世界の人々を魅了する美しい自然。豊かな食文化やおもてなしの心があります。今や日本の代名詞となった漫画やアニメーションがあります。
音楽やスポーツの世界でも、日本の魅力を世界に発信し続ける若者たちがいます。
私は、今こそ、「センチュリー」が必要なのではないかと思うのです。こちらの映像をご覧ください。
豊田会長
センチュリー。その名の由来は、「明治100年」とも、「トヨタグループの創始者・豊田佐吉の生誕100年」とも言われておりますが、私は「次の100年をつくる」という意味に受け止めております。
そして、センチュリーに刻まれた「鳳凰」のエンブレム。「鳳凰」とは、世界が平和な時代にのみ姿を見せる伝説の鳥です。
センチュリーは、単なる車名ではありません。世界の平和を心から願い、日本から「次の100年」をつくる挑戦。それこそがセンチュリーなのだと思います。
章一郎亡きあと、これは、私自身の使命だと思いました。
豊田会長は込み上げてくるものを堪えながら、少し間を置いた後、この日一番の熱量でメッセージを届けた。
豊田会長
もちろん、私ひとりでできることではありません。トヨタには、中村健也さんのスピリットを受け継ぐ仲間がたくさんいます。
そんな仲間とともに、「センチュリーブランド」を立ち上げることを決意いたしました。
「One of One」。中村さんの言葉を借りれば、「同じでないこと」。
センチュリーは、トヨタ自動車のブランドの1つではありません。日本の心、「ジャパン・プライド」を世界に発信していく、そんなブランドに育てていきたいと思っております。
皆さん、「ネクスト・センチュリー」にご期待ください。
【車両情報】クーペ×ショーファー
今回、クーペが加わって、ボディタイプが3種類になるセンチュリー。フォーマルのセダン、ビジネスカジュアルのSUV、そして、新たな “Flair”(色気)を添えるクーペ。ドレスを着てパーティー会場に向かう。そんなシーンが似合うクルマを目指した。
外板色の「緋色(ひいろ)」は日本の伝統色で、鳳凰をイメージしたもの。エンブレムには江戸彫金、シート生地には西陣織など、随所に日本の伝統や文化を取り入れている。
運転席と助手席を分ける仕切りは「機(はた)織り」をイメージ。織機の発明から始まったトヨタのルーツを表現している。
見た目はクーペでありながら、あくまでショーファーカー。運転席側は前後2席、助手席側は1席の3人乗り仕様とした。
助手席側は前後両開きのスライドドアとし、開口部を広くとった。大切な方にゆったり過ごしていただけるよう、前後に広大なスペースを確保し、フルリクライニングも可能にした。
平日はショーファーカーでも、休日はドライバーズカーとして楽しんでいただけるよう、FUN TO DRIVEにも、とことんこだわっていくという。
「最高峰」にして「別格」のクルマ。開発陣は「世界に日本のモノづくりと、日本の自動車産業の底力を伝えていきたい」と意気込む。
実車はぜひ、東京ビッグサイト(江東区)南展示棟1階のブースで確かめていただきたい。
【JMS概要】
・会期:2025年10月30日(木)~11月9日(日)
※10月30日(木)はオフィシャルデー。一般開放日は10月31日(金)から。
・会場:東京ビッグサイト
・WEB:https://www.japan-mobility-show.com/