
2018年に女性の運転制限が解除された国、サウジアラビア。美しい大自然の中で繰り広げられる女性限定ラリー「Rally Jameel」って?
規格外!世界遺産からスタートするワケ
過去3回、サウジアラビア国内で開催されたRally Jameelだが、今年は国境を越え、ヨルダンと2カ国で開催される。

驚くことに、スタート地点は世界遺産のペトラ遺跡! 壮大!

回を重ね、グローバルに広げていきたいという想いで国境を越えての開催を検討。複数の国が候補に挙がる中で、ヨルダンに決めたことには3つの理由がある。
①サウジアラビアとヨルダンをつなぐ歴史
紀元前2世紀ごろから紀元後106年まで栄えたナバテア王国。ヨルダン・ペトラを中心に、アルウラを含むサウジアラビアの北西部にまで、文化や技術を発展させた。ペトラで見られる岩窟建築はアルウラでも多く見られる。
②中東におけるモータースポーツの先駆者的存在
ヨルダンは中東地域の中で、モータースポーツの歴史が長い国の1つ。2008年には中東地域で初めてWRC(世界ラリー選手権)の開催国の1つにもなった。

サウジアラビアと同様国民からの人気も高く、インフラが整っていることも開催国に適していた。
③友好なパートナーシップ
アブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータースと同様、トヨタ車、レクサス車の輸入、販売を、ヨルダンで行うセントラル・トレード・アンド・オート・カンパニー。特に若者に向け、eスポーツの大会などを通じ、長期的なGRファンづくりを行っている。彼らはRally Jameel開催の提案に非常に協力的で、初めての2カ国開催へのチャレンジにおいて心強い存在であった。
セントラル・トレード・アンド・オート・カンパニーのナディム・ハッダードCEOは、Rally Jameelへの想いを次のように語る。
セントラル・トレード・アンド・オート・カンパニー ナディム・ハッダードCEO

女性の権威が強かったという説があるペトラという土地は、女性のエンパワーメントに焦点をあてたRally Jameelのスタート地点に相応しいと思います。
世界各国から集まる参加者の皆さんには、地元の人々のおもてなしの心と親切さを感じてもらいたいです。中東に対して「攻撃的な場所」「歓迎されない場所」という先入観をもっている方もいるかもしれません。Rally Jameelを通してイメージが変わり「ヨルダンとサウジアラビアは、いつでも帰れる家のような場所」と感じてもらえたら、大成功です!
章男会長はアメイジング!
女性がラリーを通して運転を楽しむことで、女性のエンパワーメントを加速させる。
この発想には、ハッサン副会長自身のある原体験が紐づいていた。
アブドゥル・ラティフ・ジャミール・サウジアラビア ハッサン・ジャミール副会長

豊田章男会長自身がレースに参加し、ハンドルを握るという事実は、とても衝撃的でした。モータースポーツは肉体的疲労が大きく、タイムレースのプレッシャーも抱えるため、簡単なことではありません。
過酷なモータースポーツを支援するだけでなく、実際に「モリゾウ」という名前でドライバーシートに座る実践的な姿は、クルマを真に理解するための献身を物語っていると思います。その情熱は、私たちを含めたトヨタのすべての仲間に大きな影響を与えました。
そんな中、私はプロドライバーと一緒にラリーカーの運転を学ぶ機会があり、その日は私が今まで経験した中で最も楽しい一日になりました。忘れていた、クルマを運転することの興奮を思い出したのです。それ以来、サウジアラビアでトレーニングを始めました。

砂漠でのオフロード走行、ナビゲーションラリーは簡単なことではないです。私が、章男会長からインスピレーションを得て、自分自身で挑戦するモチベーションを再燃させたように、この挑戦が女性のエンパワーメントを高めると信じています。
最後に、ハッサン副会長は「サウジアラビアが開かれた国であることを、世界中に見てほしいです」と笑った。

後編ではいよいよ、GR社員がRally Jameelに参戦した模様をお伝えします!

コラム:トヨタとアブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータースの歩み
トヨタ独立資本のディストリビューターとしては世界最大規模を誇るアブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータース。その起源は1945年までさかのぼる。
現在の副会長であるハッサン・ジャミール氏の祖父である故アブドゥル・ラティフ・ジャミール氏は、起業家精神に駆られ、さまざまなビジネスアイデアを模索。その中で、故郷、サウジアラビアに、交通とモビリティを通じてつながりと成長をもたらす機会を見出し、日本の自動車業界に目を向けた。
友人の推薦によりトヨタ自動車株式会社を知った故アブドゥル・ラティフ・ジャミール氏は市場の反応を確認するため、サンプル車両を購入できるかどうかを問い合わせ。結果、4台のランドクルーザーがサウジアラビアに到着した。
これをきっかけに、1955年、トヨタの正規代理店となる権利を取得。故アブドゥル・ラティフ・ジャミール氏は現在のアブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータースの基盤を築いた。
当時、トヨタはまだ無名であったが、故アブドゥル・ラティフ・ジャミール氏はこのアジアの小さな自動車会社に賭けたのだ。
最初の年に輸入したのは10台のランドクルーザー。販売できたのは年間で5台。その後、故アブドゥル・ラティフ・ジャミール氏は自動車販売の専門知識を蓄積し、トヨタも製品の品質を着実に向上したことで、ビジネスは拡大し続けた。
砂地や険しい岩場でも信頼性のあるランドクルーザーを中心に、トヨタ車は、サウジアラビアの中心地だけでなくすみずみにまで浸透し、国の発展に大きく寄与。後に、アブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータースは、サウジアラビア全土で優れたサービスと製品を提供する、世界有数の独立系トヨタディストリビューターの一つとなった。
アブドゥル・ラティフ・ジャミール・モータースの一部であるジャミール・モータースポーツは現在、ROOKIE Racingの主要スポンサーでもある。スーパー耐久富士24時間レース(静岡県小山町)を長年観戦してきたハッサン・ジャミール副会長は、ROOKIE Racingを支援することへの想いを次のように語る。
アブドゥル・ラティフ・ジャミール・サウジアラビア ハッサン・ジャミール副会長
ROOKIE Racingのスポンサーの話を聞いたとき、これは逃せない機会だと思いました。
トヨタから学んだように、クルマには世界各国で異なる要件、異なる需要、異なる市場があり、多様なアプローチがあります。ROOKIE Racingのスポンサーを通じて、「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」のプロセスを学び、この多様なアプローチを理解したいと思いました。
また「道が人を鍛え、クルマを鍛える」という強い信念にも共感しています。ROOKIE Racingほど、この探求を実際に行うのに適したパートナーはありません。

ハッサン副会長は最後に「この固い絆に、心から感謝しています 」と語った。