トヨタの各工場の歴史と、目指していく進化を紹介する連載シリーズ「トヨタ工場の継承と進化」。今回は"大衆車工場"として生まれた高岡工場の歴史を紹介。
第2ライン休止、1ライン体制へ
2009年、トヨタは前年に起きたリーマンショックにより、創業以来初の営業赤字に転落。
主力車種であったカローラやヴィッツの販売台数が大きく低下し、高岡工場も設備に対して生産するクルマがないという状況に陥った。
そして、既存の2ライン体制の維持が困難になり、翌2010年には第2ラインが生産休止。以降の年間生産台数は20万台以下になり、操業開始以来最低レベルにまで低下した。
第2ラインの休止決定後、現場に漂っていた不安について塗装成形部の川名次長が語った。
塗装成形部 川名次長
第2ラインが止まって一番つらかったのは、一緒に働いていたメンバーの他工場への転籍でしたね。
各現場から何名を転籍させるか、誰が他工場に移るかを皆で話し合わなくてはならなかった。どうしようもなかったのは分かっていますが、それまで一緒に働いていた仲間たちとの別れは本当に寂しかったです。
しかし、第2ラインが休止したからこそ、高岡工場の現場の結束はより強まったという。
現場の奮起による第2ライン復活
車体部 中山次長
生産するクルマが減って、設備から音がしなくなったときの寂しさは今でも覚えています。それでも、絶対に第2ラインは復活すると、私を含めて現場の仲間たちは信じていました。
だからこそ、残った1ラインで品質追求と改善を重ね、いいものをつくり続ける。しっかり生産を続けていけば、トヨタにとって大事なクルマを高岡に任せてもらえるようになる。そんな気運が工場に満ちていました。
そして2013年、現場の奮闘が実を結ぶことに。
当時、新型が発売されたハリアー(3代目)とRAV4(4代目)の生産工場が高岡に決まったことを機に、2013年6月に第2ラインが生産再開。
年間生産台数は40万台近くにまで回復し、両車は今も高岡工場を支える人気車種となった。
「あの時に平凡な仕事をしていたら、今の高岡は多分なかった。皆で工場を盛り上げたからこそ、第2ラインが復活できたんだと思っています」と中山次長は付け加えた。
組立部の広瀬次長も、高岡工場ならではの現場力があったからこそ第2ラインが復活できたと語る。
組立部 広瀬次長
皆で一致団結して熱を起こし、すぐ行動に移す。それが“高岡らしさ”だと思っています。
工場を視察に訪れた人からも「なんで高岡はこんなにいきいきしているんだ?」と言われることも多いです。
第2ライン復活までを振り返っても、それが表れていた。
カローラやプリウスなど、トヨタにとって大切なクルマをつくってきた高岡で自分たちは働いてきたんだ。そんな自負とともに、皆で高岡のモノづくりを復活させるべく奮闘していました。
広瀬次長が語る“工場を視察に訪れた人”の一人が佐藤恒治 社長。実は我々が7月に取材した数日前に現場を訪れていた。
各現場の社員と会話をして回りながら「活気のある工場ですね」と話していたという。高岡らしさは、今も失われていないようだ。
人の元気が、工場を動かし続ける
団結と熱意ある行動。そんな高岡工場の強みは、こんな所にも表れている。
毎年冬に開催される「HURE!フレ!駅伝」は、1947年から続くトヨタの伝統行事。花形であるロングの部において、高岡組立部は2019年から24年にかけて4連覇*を果たしており、“絶対王者”としての地位を固めている。
*2020、21年大会はコロナ禍により中止
「自分以外の誰かのために走り、皆で1本のたすきをつないでいく。クルマづくりの現場も同じです。1台の素晴らしいものをつくり上げるため、一人ひとりが持ち場で全力を尽くし、チームとして団結する。高岡に根付くその熱意と精神が駅伝連覇にもつながっていると思います」
高岡組立部で総監督を務める中露誠士シニアエキスパートは、強さの秘訣をこう答えた。
また、冒頭に紹介したように高岡工場は愛知県豊田市、みよし市、刈谷市の3地域にまたがっている工場。広大な土地を提供いただいていることもあり、地域住民への貢献は“マチづくり”という使命として捉えている。
地域貢献への参加者の大部分は、CX、SX、EXなど、技能系の各職制ごとに組織されている「三層会」。
“マチづくり”について、「我々は会社の一員である前に社会の一員であり、地域との共生を忘れてはいけない。その事実を学び直す人間力向上の機会にもなっています」と三層会の岡本真吾EXは答えた。
現場の熱意が織りなしてきた高岡の歴史と伝統。最後に森田光宏工場長に話を聞くと、働く人たちの元気が工場の未来をつくっていくと語った。
森田工場長
やはり、第2ラインの生産休止と復活が、高岡工場の特性を強固なものにした大きなトリガーだったと思います。
ラインが1本になっても高岡をしっかり守っていきたい、盛り上げていきたい、また全社に認知されるような工場になっていきたい。そのためには、自分たちが元気と人間力を備えて成長する必要がある。
現場で働く人たちが、そんな危機意識とともに行動してくれたからこそ、今の高岡がある。
私が大変恵まれていると感じるのは、トヨタの社員は、本当に信頼して仕事を任せておけば、自主的にいろいろなことをやってくれる強みを持っているということ。
なので、現場の人たちがいきいきと働ける環境を整えることが、私の工場長としての使命です。
よき高岡が、よき高岡であり続けるために、全員が活躍して生産台数を守り続ける。そんな工場経営をしていかなければいけないと思っています。
カローラに始まり、プリウスやコンパクトカーなど、大衆に愛されるクルマをつくり続けてきた高岡工場。
2025年8月からは、また新たな挑戦が始まった。“革新ライン”として稼働し続けてきた第1ラインが、トヨタにとって国内初のバッテリーEV(BEV)専用ラインに切り替わるのだ。
“クルマの大衆化”を支えた工場が、今度は“BEVの大衆化”に挑む。それに合わせ、森田工場長が語ったような“いきいきと働く”ための環境整備が各現場で進められている。
詳しい内容は後編にあたる「進化編」にて紹介。ぜひ併せてご覧いただきたい。