
4月、米『オートモーティブ・ニュース』で公開された豊田章男会長のインタビューを特別掲載。曾祖父・佐吉から続くトヨタのDNA、社長時代の苦難、そして次代への想いを語った。

2025年4月、アメリカの自動車専門紙『オートモーティブ・ニュース』に豊田章男会長のインタビューが掲載された。
1925年に創刊した同紙は、デトロイトに本社を置き、全米だけでなく欧州や日本など世界各地からニュースを届けている。
今回のインタビューは、同紙の創刊100周年を記念して実施。豊田佐吉翁から始まる豊田家を「自動車産業に対し、ビジョンや革新性、リーダーシップにより継続的な影響を与えた」として特集された。
この1925年という年は、トヨタにとっても重要な年だ。
同年は、トヨタが織機からクルマへと事業をモデルチェンジするための資金を生み出した、G型自動織機の量産が始まった年。章一郎名誉会長が生まれたのも、この時期だ。
100年前に始まったオートモーティブニュースと、100年前にクルマ屋へ舵を切るきっかけを得たトヨタ。
インタビューの中で豊田会長は、「ゲームチェンジが起こった年」と語っている。トヨタイムズでは今回、豊田会長のコメントも収録したオートモーティブニュース記事を特別に掲載する。
【ここからオートモーティブニュース】
豊田章男会⾧によると、1925年はオートモーティブニュース(AMN)と同様に、トヨタ自動車にとっても、特別な年だった。この世界最大の自動車メーカーは、当時は自動車産業に参入さえしていなかった。しかしこの年に、豊田家の先人達が創設した会社が、画期的発明であるG型自動織機の大量生産を始めたことで、歴史の流れを変えた。

G型自動織機の大成功は、世界でもっとも成功した企業の一社であるトヨタの始まりとなり、豊田家の功績が、産業史に刻まれることを確固たるものとした。
1925年はまた、AMNが創刊された年でもある。AMNは過去100年間を振り返り、豊田章男と、彼から4代さかのぼるその一族の⾧年に渡る卓越した功績に敬意を表し、100周年記念賞を授与している。
「1925年はオートモーティブニュースだけでなく、トヨタ自動車にとっても特別な年でした。非常に大きな意味のある、おそらくゲームチェンジが起こった年だったのです」。章男氏はこう語った。トヨタの社⾧、会⾧を⾧く務めた父の章一郎氏が生まれたのもこの年だったという。
G型織機の売上は、豊田家が当時黎明期だった自動車業界に踏み出すための強固な財務基盤を作り上げた。その影響は非常に大きく、トヨタは復元した自動織機を東京オフィスの役員室のロビーに誇らしげに展示している。その隣には、トヨタが開発した最初の自動車、AA型乗用車のレプリカが飾られている。
章男氏は「この織機の大量生産は1925年に始まりました」と、織機の前で身振りをまじえながら語った。「当時米国では、自動車は大衆のものになっており、年間300万台が生産されて路上を走っていた。しかし自動車会社としてのトヨタは、存在すらしていなかったのです」。
この影響力のある巨大な企業グループは、日本の経済大国への成長を牽引しただけではない。そのグループから生まれた代表的企業であるトヨタ自動車は、世界の自動車業界の姿を一変させた。
章男氏は、3月25日に行われた受賞にあたっての取材で、トヨタの卓越した歴史を振り返りつつ、そのはじまりを曾祖父である豊田佐吉に求めた。
