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豊田章男は創業家の精神を守りながら、トヨタの未来を見据えている

2025.06.05

4月、米『オートモーティブ・ニュース』で公開された豊田章男会長のインタビューを特別掲載。曾祖父・佐吉から続くトヨタのDNA、社長時代の苦難、そして次代への想いを語った。

豊田佐吉の原動力は、自分以外の誰かのためにという想いだった

佐吉の若い頃、近代日本はサムライの時代から世界に目を向け始めて間もない時だった。⾧らく鎖国していたこの島国は、西欧列強の技術力と商業力に包囲されているように見えた。質素な大工の家に生まれた佐吉は小学校での教育しか受けていないが、当時の状況を見据え、国を助けたいとの想いに駆られていた。

章男氏は、佐吉が他の誰かの仕事の負担を減らすことで、社会に貢献できるということを見出したと、誇りを持って語っている。大工仕事や農作業を手伝い、夜に帰宅すると織物を行っていた佐吉の母を助けることが始まりだったという。

「佐吉は、母親の生活を楽にしたかったのです」と章男氏は語る。「佐吉のこうした考えは、おそらくトヨタの原点だったのだと思います」。

佐吉の問題解決への欲求は、世界初の無停止シャトル交換機構を持つG型自動織機の開発につながった。革新的な設計により、作業者の負担が軽減されただけでなく、作業効率も数倍向上した。

トヨタに入社した際は歓迎されていないと感じたと語る豊田章男会⾧。価値を証明するため、懸命に働かないとならなかったという。(トヨタ自動車提供)

章男氏は、同じ精神がトヨタ自動車を導いていると説明する。そしてその精神こそ、AMNが豊田家に100周年賞を授与した理由でもある。この賞は、自動車業界の擁護者、批評者としてのAMNの100周年を記念するものだ。そして、世界でもっとも刺激的なビジネスである自動車産業に対し、ビジョンや革新性、リーダーシップにより継続的な影響を与えた卓越した個人、家族に贈られるものだ。

豊田家は株式の保有でなく、創業家の精神で社を導く

佐吉以降の3世代も、トヨタを導いた。章男氏の祖父、喜一郎は1937年、佐吉がつくった豊田自動織機からの分離独立の形で、トヨタ自動車工業を設立。父の章一郎氏は、1981年から92年までトヨタ自動車の社⾧を、92年から99年まで会⾧を務めた。章男氏は2009年に社⾧に就任し、23年からは会⾧を務めている。佐吉の甥である豊田英二は1967年から81年まで、章一郎氏の弟の豊田達郎氏も92年から95年まで、それぞれ社⾧を務めている。

今日、トヨタ車は世界のあらゆる場所で販売されている。トヨタブランドは品質と信頼性の代名詞で、豊田家のリーダー達が切り開いた事業の手法は、製造業の教科書を塗り替え、リーン生産方式やカイゼンが紹介されるようになった。創設から約90年が経過し、トヨタは世界最大の自動車メーカーとなり、なおかつ利益率でも最高の水準にある。

豊田章男会⾧は創業家3代目の経営者であり、息子の大輔氏もトヨタに入社した。(トヨタ自動車提供)

世界中でトヨタは数十万人を直接雇っている。そしてその何倍もの雇用を、サプライヤーやディーラー、関連会社で生み出している。

創業家3代目としての重圧は、68歳の章男氏に重くのしかかっている。「日本では、3代目は会社をさらに発展させるか、潰すかのどちらかだと言われているんです」と語る章男氏。「私はこの会社への投資家でもなければ、投資の貢献者でもありません。社内には、私がトップにいることを快く思わない人もいました」という。

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