
4月、米『オートモーティブ・ニュース』で公開された豊田章男会長のインタビューを特別掲載。曾祖父・佐吉から続くトヨタのDNA、社長時代の苦難、そして次代への想いを語った。
トヨタでトップに上り詰めるまでの苦難
実際、章男氏が社内で昇格していった際は、懐疑論者が多かった。豊田家の家名はクルマに冠されているが、一家の株式保有比率は、世代が下るにつれ象徴的にすぎない水準にまで減っている。章男氏は、自身の価値を証明するために、2倍働かなければならなかったと振り返る。
「トヨタに入社したときは、あまり会社に歓迎されていませんでした。今もここにいられるのは、いつかは会社に必要な人材になれるよう努力して毎日を過ごしていたからというだけです。自社だけでなく、いつかは自動車業界にとっても必要な人物と言われるよう、努力をしてきました」

章男氏が最終的には家名の重みを悟ったのは、意図せぬ急加速によるリコール問題を謝罪するため、米国の議会で証言に立った時だった。
「社⾧になってすぐ議会証言を行い、『すべてのクルマに私の名前がついている』と言ったのは、話したのが私だったから意味があったのだと思います」と章男氏は語った。「会社を経営していると、良いときも悪いときもあります。しかし重要なのは、何を言ったのではなく、誰が言ったかなのです。それには、物事を動かす力があります」。
トヨタの外でも、章男氏はモータースポーツやテクノロジー、安定的な雇用まで、自動車に関するあらゆるもののリーダーとして、違いを生み出すという使命を担っている。章男氏は、日本自動車工業会の会⾧として前例のない3期を務め、激動の10年間を通じて、世界最大級の業界の舵取りを務めた。
豊田大輔氏が創業家のバトンを未来に引き継ぐ可能性は
章男氏が社⾧に就任したのは、世界的な金融危機を受け、トヨタが71年間の歴史の中で初めて営業赤字を計上した時だった。当初の数年は、章男氏が辞任を考えた、リコール問題や2011年の東日本大震災と福島第一原発事故により、荒波は激しさをさらに増していった。しかし、トヨタの基本原則に基づいた倫理に集中することで、章男氏はトヨタを新たな高みに導いた。
トヨタの「マスタードライバー」として、章男氏はあらゆるクルマのハンドリングの味付けにかかわっている。そして、彼の「もっといいクルマ」へのこだわりは、かつては退屈だったラインナップを、エキサイティングでスタイリッシュなものに変えた。章男氏は、トヨタを世界最大の自動車メーカーに育て上げ、過去最高の販売台数、利益、生産を達成した状態で、社⾧のポストを佐藤恒治氏に引き継いだ。
ただ、章男氏は、⾧い歴史を持つ創業家の系譜にある。代わりの利かない日本経済の柱、模範となる企業市民、世界のあらゆる場所でビジネスを行う「町いちばんの企業」としてのトヨタをつくりあげたのは豊田家だった。
章男氏は、その系譜の最後の一人ではない。息子の大輔氏も、一家の使命に気を配っている。37歳の大輔氏は、トヨタに2016年に入社。現在は、ソフトウェアや未来のモビリティ事業を手がける子会社、ウーブン・バイ・トヨタのシニアバイスプレジデントを務めている。
この豊田家の4代目は、富士山のふもとで構想が進む、将来技術のテストを行うための都市「ウーブン・シティ」プロジェクトを監督する立場にある。
大輔氏は、父親のスピードへのこだわりを共有しているという。トヨタのレースチームで競技に参加し、モータースポーツ部門であるガズーレーシングのテストドライバーも務めている。
ただ、章男氏は、息子が自身の足跡をたどるかについては慎重だ。「彼は私の息子ですが、まったく別の人間です。彼には彼固有の人生があります。だから、彼に私が経験したような訓練をさせようとは思いません」。
一方で、章男氏は大輔氏に一つだけ引き継いでほしい役割もあると付け加えた。「それは、マスタードライバーです。ブランドを持つメーカーとして、マスタードライバーはブランドの味付けを決める存在です。ブランドの味は時代によって変わるでしょう。トヨタの味、レクサスの味、GRの味などは、その時々で決定していく必要があります。だからいつか、彼がこの部分を受け継いでくれることを願っています」。
トップ画像説明
3月25日、トヨタ東京オフィスでG型織機の隣に立つ、トヨタの豊田章男会⾧。1925年にこの織機の大量生産が開始されたことが、トヨタの重要なターニングポイントになったと述べている。(撮影:ハンス・グライメル/オートモーティブニュース)
※インタビューは、インタビュアーと通訳が英語で話し、豊田会長が日本語で答える形で行われています。