
4月、米『オートモーティブ・ニュース』で公開された豊田章男会長のインタビューを特別掲載。曾祖父・佐吉から続くトヨタのDNA、社長時代の苦難、そして次代への想いを語った。
記事では描かれなかった一面も

オートモーティブニュースでは、会長との質疑をもとに記事を構成していたが、これとは別に、インタビューの様子を質疑応答の形でも掲載していた。ここでは、先ほどの記事には描かれなかった、豊田家とトヨタの関係やバッテリーEVへの想いも語っている。
【質疑応答記事はここから】大事なことは共感し合い、協力し合い、感謝し合うこと
トヨタ自動車の豊田章男会⾧は、アジア担当編集者のハンス・グライメル氏とのインタビューに応じ、豊田家を代表して「オートモーティブニュース100周年記念賞」を受賞した。2009年に自身の名を冠した自動車メーカーのトップに就任し、⾧年にわたり業界をリードしてきた章男氏は、創業家の功績や将来の役割、電動スポーツカーの予測まで、さまざまな話題について語った。
質疑の抜粋は以下の通り。
――豊田家の世界の自動車産業への貢献という意味で、重要なターニングポイントは何だったのでしょうか?
豊田会長
はじまりは、豊田佐吉が生まれた頃かもしれません。佐吉は私の曾祖父です。彼は大工の息子として生まれ、小学校しか出ていません。
佐吉の子供時代、欧米各国は急速に工業化していました。その様子を見て、もしかしたら日本が取り残されるのではないかと、彼は悩んでいたのです。
彼はまた、母親が家族を支えるために一生懸命働くのを見ていました。彼女は大工仕事と農作業で夫を支えながら日中ずっと働いていました。そして夜になっても、家で機織りをしていたんです。佐吉は、起きている間はずっと母が働いているのを見ていたということです。彼は母親の生活を楽にしたかったのです。
佐吉のそんな考え方が、トヨタの仕事の原点だったと思います。
――それがどう現在のトヨタにつながっているのでしょうか?
佐吉はそこから発明を始め、G型自動織機の誕生につながりました。量産が始まったのは1925年です。
その時米国ではすでに自動車が普及していて、約300万台の自動車が生産され、道路を走っていました。しかし、トヨタ自動車という会社も存在すらしていなかったのです。私の父、章一郎が生まれましたのもその年です。さらに、オートモーティブニュースの始まりの年でもあります。
これもゲームチェンジャーですよね? 1925年は、オートモーティブニュースだけでなく、トヨタ自動車にとっても特別な年だったと言えるでしょう。非常に重要な年であり、おそらくゲームチェンジャーの年だったでしょう。
――クルマの面ではどうでしょう?

1930年代後半には、自動織機事業から自動車事業への大きなモデルチェンジがありました。その移行は、私の祖父である豊田喜一郎とその後の世代が主導しました。これは私たちにとって2つ目のゲームチェンジであり、自動車会社への大きなモデルチェンジです。
――トヨタのリーダーとして、最大の課題は何でしたか?
トヨタに入社したときは、あまり歓迎されているとは感じませんでした。私がここにいるのは、いつか会社が必要と認める人間になれるように努力しながら、毎日を生き続けてきたからです。会社だけにとどまらず、いつか自動車業界にも「必要とされている人間だった」と言えるように努力してきました。
私は3代目です。日本では、3代目が会社をさらに発展させるか、倒産させるかのどちらかになるとよく言われます。
企業資本の相続を考えると、相続する資本は代を重ねるごとに減っていきます。ですから、3代目になる頃には、資本によるオーナーシップはほとんどありません。私は、この会社に対する投資家でも、資本面の貢献者でもありません。ですから、社内には、私がトップにいるのを快く思わない人もいました。
――豊田家は、どのように会社に関わっていくのでしょうか。
まず、我々は理念や会社の思想を共有しているかどうかを重視しています。そして、自動車業界で働くために、自動車ビジネスを行うために必要な技があります。さらに、トヨタの人間に期待される適切な所作があります。
この3つは社内から受け継がれてきたもので、私は成⾧していく中で様々な人から教育を受けてきました。ですから、トヨタが作り出した3つのこと、つまり思想、技、所作が私の武器になったのだと思います。
豊田家であることで唯一大切なことは、クルマにファミリーネームが刻まれていることです。私が社⾧になった直後に米国の議会の公聴会に行き、「すべてのクルマに私の名前がついている」と言った時、それは意味があったと思います。会社を経営していると、良い時とそうでない時があります。しかし、何を言うかよりも、誰が言うかが重要な局面があります。それが物を動かす力を持つことがあります。
大事なのは、豊田家かそうでないかではなく、全員の力を活かして、自動車業界とトヨタのために共感し合い、協力し合い、感謝し合うことです。家名を冠する将来の世代について、そして今この会社で働く私にとって考えると、我々豊田家の役割は、人々やステークホルダーに門戸を開くことであり、我々に話しかけてもらえれば、声が届くと感じてもらうことです。